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路線価散歩(横須賀市船越町界隈)/上

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テーマ:ライター記事

 「路線価」、耳にしたことはあっても、多くの方にとって「国が発表している公的な土地価格」くらいの理解で済まされているフレーズではないでしょうか。路線価とは平たく言うと、相続税課税時の土地資産評価を行う際に用いるため、税務署が定期的に発表している土地毎(路線毎)の基準単価のことになります。
 地図上に路線価の示されたものを路線価図といい、この路線価図は国税庁のHPから誰でも閲覧することができます。

 今回は、品川駅から電車で最短46分・京急田浦駅がアクセスポイントになる「横須賀市船越町」を訪れたいと思います。

≪改修から9年経つ構内は意外に真新しい京急田浦駅


□横須賀市発展の歴史

 横須賀市発展の礎は、江戸時代末期の横須賀製鉄所の建設に遡ります。それまでの三浦半島の中心は、奉行所の置かれた浦賀にあり、横須賀は「横須賀村」と呼ばれるワカメ漁の盛んな一農漁村でした。

 1853年のいわゆる「黒船来航」以来、江戸幕府は海上防備の強化とこれら西洋の艦船に対抗する大型船の建造を目的に、1864年から横須賀村に本格的な造船のための製鉄所を設ける準備に入ります。
 この頃、アメリカでは南北戦争(1861~1865)が行われ、ヨーロッパでは疫病による養蚕業の大打撃を埋め合わせる形で、日本の富岡製糸場からの生糸輸入がはじまります。このように、長らく鎖国政策の下にあった日本が一気に世界に開かれていった時代。幕府により着手された横須賀製鉄所の設営計画もそのまま明治政府に引き継がれ、1871年(明治4年)に横浜造船所として徐々に稼働を開始していきます。
 2014年頃にブームを巻き起こしたブラウザゲーム「艦これ」で有名になった「横須賀鎮守府」ですが、これも、それまで横浜にあった東海鎮守府が、横浜造船所の本格稼働に合わせ1884年(明治17年)に移設されてきたものです。横浜造船所の重要性はその後も増す一方で、1903年(明治36年)には横須賀海軍工廠と名を改めます。


□軍港まち・横須賀の急速な都市化

 横須賀市の人口は、1884年(明治17年)に約8,700人でしたが、5年後の1889年(明治22年)には約1.7万人へと倍増。その後も、横須賀市域で建造される船の増加に伴い軍人や工員の流入は続き、1908年(明治41年)には約6.1万人、1937年(昭和12年)には10万人を上回るという増加ペースでした。

 横須賀市の地形は、海岸線に丘陵地が迫るような地形であり、もとは横須賀守府や海軍工廠に隣接した海岸沿いの低地から市街地化が進んでいきました。そこへ上述のような人口増加の受け皿として、新たな埋立地の造成と、概ね標高20mを超える台地上の丘陵地帯の開発が進められ、特に丘陵地帯の開発については谷戸地域(※1)から次第に斜面地の山林を切り開いて造られた宅地へと進んでいきました。

※1 関東平野南部の丘陵地帯に見られる、丘陵地に馬蹄形に入り込むように平地が形成された小さな沢状の地形のこと。

出典:日本建築学会計画系論文集 第80巻 第714号,1825-1832,2015年8月、「谷戸の地形特性と土地利用特性に関する研究」、三笠友洋、重村力、田中貴宏、山崎義人、内平隆之

 なお、横須賀市では、横須賀市消防局が防災上の観点から、平成23年6月時点、市内49地域を谷戸地域として指定している。同市消防局の谷戸地域の指定条件は、警防対策を充実強化し事前体制の確立を図ることを目的にしており、(1)「三方又は二方が山地に囲まれ通称谷戸といわれる地域で一般住宅が30棟以上ある地域」、(2)「普通ポンプ自動車の進入路が一方的であり、かつ道路が行き止まりである地域」、(3)「地域的な主要道路に位置する消防水利から最も奥の建築物までのホース延長距離が300m以上である地域」、(4)「一般住宅が30棟以上密集し、かつ、最先着隊が部署する消防水利からの高低差が20m以上の地域」、(5)「消防長が警防対策上、特に必要と認めた地域」、以上5項目のうち3つ以上に該当するものとしている。(出典:平成23年(2011年)6月、「谷戸地域空き家等実態調査報告書」、横須賀市都市部都市計画課)


□京急田浦駅~仲通り商店会

 京急田浦駅を降り、目の前を走る国道16号線を右手へ南下すると大きなカマボコ上の講堂が見えてきます。京急田浦界隈では、この駅前の路線価がもっとも高く1㎡14万円ほどになります。

≪京急田浦駅前歩道橋から国道16号線を南へ臨む≫

 駅前から見えたカマボコ上の建物の位置するのが横須賀市立船越小学校で、駅前の落ち着いた雰囲気づくりに一役買っています。(船越小学校は、昨年創立130周年を迎えた横須賀の歴史と所縁の深い学校で、卒業生には、ネプチューンの堀内健さんや元モーニング娘の石川梨華さんなどもいらっしゃるそうです。)

≪昨年創立130周年を迎えた横須賀市立船越小学校。京急田浦駅は目と鼻の先にある≫

 そのまま、船越町の交差点を直進すると、左手に「仲通り商店会」が見えてきます。この辺りから緩やかに路線価は下がり始め、150mほどの仲通商店会を抜ける頃には、路線価は1㎡12万円から1㎡10万円までなだらかに下降してゆきます。

≪シャッター通りと言われて久しい仲通り商店会だが、街区としては小さいせいか思ったほど寂しさは感じられない。≫


□船越町1丁目~長浦港

 昭和な雰囲気の漂う仲通り商店会を抜けると、東芝グループの照明器具メーカーである東芝ライテックの本社兼横須賀事業所(工場)に突き当たります。この工場周辺は、中小工場地区(※2)で、本来、住宅購入を検討する際の路線価とは比較できないのですが、今回は、あえてここを右手へ折れ少し寄り道します。

※2 主として準工業地域、工業地域又は工業専用地域内にあって、敷地規模が9,000平方メートル程度までの工場、倉庫、流通センター、研究開発施設等が集中している地区

≪船越町1丁目の2割近い面積を占める東芝ライテック本社(横須賀工場)。2010年にはLED化に伴う一般白熱球の生産終了で一時話題に。≫

 仲通り商店会を抜け、船越一丁目交差点方面から再び国道16号を南下すると、横須賀市北消防署が見えてきます。この消防署は、横須賀市消防の北の要。なんと、横須賀市の保有する消防社長107台のうち1割超の車両がここ北消防署に配備されています。

≪横須賀市北消防署。RESCUEとあしらわれた大型のはしご車の姿が見える。≫

 この北消防署の角をさらに回り込むような形で左手に折れると、ぐっと空の視界が広がります。この中小工場地区を抜けた道路沿いに見えるのが長浦港で、ここから、自衛隊の艦隊司令部に停泊する護衛艦という横須賀らしい姿を垣間見ることができます。

≪長浦港の様子。船の往来が多い長崎のような軍港イメージとは大きく異なり、印象は穏やか。≫


≪次回へ続きます≫

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取材・文/TN(HN)

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